2021年5月4日(火)
情熱を持ち続けられるか。
生活リズムを戻すために今日は6時に起きた。
学校に行く必要が無いから活動を6時30分から始められる。
午前が長く感じた。
そりゃ5時間30分もあったら長い。
ここ数日9時とか10時に起きていたからなおさら長く感じた。
長く感じつつもやることをやっていたら午前中は消し飛んだ。
自分が何をしたいのかをずっと考えていた。
今思うことは、自分の夢を叶えたら次は日本に貢献したい。
自分の夢は一等地にバカデカい家を建ててロールスロスを自家用車にすること。
それが叶えられれば多分人生に満足すると思う。
結婚願望や自分の血がつながった子供が欲しいとは思わない。
その代わり次世代の教育はしたいと思っている。
加えて日本のために日本人のために何かをしたいと思っている。
それは寄付やなんかの間接的なことではなく、直接的に日本人や日本に貢献したい。
だから今考えているのは、里親制度を利用して事情がある子供に愛情と教育と社会で生きていくうえで最低限必要な知識を授けたい。
これは次世代の教育が自分にとっての生きがいだから、自分の生きがいのために子供を利用することにつながる。
自分のために子供を利用するなんてのはクズがやることだっていうのは理解している。
里親制度は養子縁組とは違って数日から数年で自分のもとを離れることになる。
だから親になるというよりは、親切なおじさんになるんだと思う。
今の日本は血縁を家族の証と見做すけれど、自分は門をくぐれば家族だと思っている。
だから同じ一門で時間を共有した親切な人としてのポジションでいいかなって思う。
教育だけだったら塾や学校などの教育現場でも可能だと考えたこともある。
しかし現代社会で子供を根本から教育できるのは家庭だけになった。
個人が権利を主張するようになったことで教育現場は子供を預ける親のいいなりに成り下がっている。
そんな現状を抱える日本の教育現場で子供を教育することなんぞ無理だと思っている。
自分が手づから教育するのだから、その子供にはシアワセになってほしい。
中途半端な知識を身に着けたところでシアワセになることはできない。
本来は親が施すべき愛情と教育するべき知識を同時に与えることでしか子供は成長しない。
それらを同時に叶えることができるのは養子縁組か里親制度しかない。
養子縁組は両親を必要とすることがほとんどらしい。
であれば里親制度だろうと思った。
自分のエゴのために里親制度を利用する是非はもちろんあると思う。
それを言い始めたら自分のシアワセのために他人と結婚したり子供を設けたりすることだって、他人や子供を利用することになる。
然らば人間は須らく孤独に過ごせと言うのか。
就活のことをしなかった。
その代わり将来の方向性をもう少し考えた。
加えて修羅原論を書き上げた。
午前ほぼすべてをかけて修羅原論を書き上げたものだから疲れた。
これは自分のためではないが、最終的には自分に還元されるなって思った。
年金の追納は辞めようと思った。
支払うことはできるが、それを払ってしまうと次に繋がらないことが分かった。
これは自分のこれまでの浪費が原因。
追納は向こう10年までは可能だから加算金と引き換えに繰り越すことにした。
最終的にケツを拭くのは自分だってこと。