2022年3月20日(日)

    今日3月20日に弊大学で卒業式並びに修了式が行われた。弊大学は毎年3月20日に開催している。昨年に続き、今年もコロナ感染拡大防止の観点から、教職員並びに卒業生及び修了生以外の人間は大学の敷地内に入ることができなかった。

    今年は研究室の後輩はもとより、サークルに所属していた時の後輩が卒業する年である。本当は会いに行きたかったし、最後ぐらいご飯にでも行きたかった。卒業してしまえばそれぞれ就職先や地元に向かい、散り散りになってしまうから会うことが難しくなる。ましてや一堂に会するなんぞ叶わなくなる。たらればを言っても詮無きことではあるが、夕方になってサークル時代の後輩の一人から「最後に会いたかった」とLINEで言われた時はさすがにやるせない思いだった。

    後輩達が卒業して旅立つことに対して寂しさや物悲しさを感じている。自分はこれまで見送られる側しか経験してこなかったように思うから、今回初めて見送る側の立場を経験している。

    見送られる側というものは、旅立つ行き先があるから、別れを寂しく感じつつも、新たな環境に対する期待を胸に寂しさを紛らわす事ができる。翻って見送る側というものは、見送った後は彼ら彼女らが居ない環境に身を置き続けるから、これからもその寂しさを直視体感し続ける。

    これが見送る側の立場かと思うと、親が子離れできないという話が少しだけ理解できた気がする。

    もっと彼ら彼女らとの時間を過ごしたかった。全てはコロナのせいとしか言えない。コロナが終わり、身の回りが落ち着いたら必ず会いに行く。

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