2021年5月7日(金)
妙に活力のある一日だった。
今日もしっかり6時に起きた。
つもりだったけど6時15分ぐらいだった気もする。
シャワーを浴びて歯を磨いて服を着替える。
今日の昼飯は昨日の夜に用意したから冷蔵庫から出しただけ。
ご飯を卵とプロセスチーズと一緒に炒めただけのチャーハン擬き。
いつも通り7時ごろ家を出た。
今日から減便を辞めるという知らせを聞いていたから少し期待して家の最寄り駅に向かった。
期待通りいつもの時間に電車が来た。
去年から電車の中で本を読むようになったのは、コロナ禍で電車が本を読める程度には空いたからだったんだなって思った。
昨日は人が多すぎて本を読むスペースを確保できなかったけど、今日は普通に読むことができたからそう思った。
研究室には8時15分に着いた。
今日は何をするか特に決めていなかった。
と言っても今日は塾講のバイトがあるからその予習をしなければならなかった。
11時ぐらいまでかかった気がする。
時給換算したら500円ぐらいになるから考えないようにはしている。
なるべく授業にやりがいを見出そうと努めている。
毎週あるゼミのプレゼンは毎回結構ガチ目に作らないといけないっぽい。
この積み重ねが洗練された発表と自分のテーマと向き合う時間を作り上げるんだなって少し思った。
次からは要旨を用意する必要もあるらしい。
10分間のパワポと要旨は中々求めてくるじゃんって感じ。
今日は次の発表のための下地作りと使うグラフの用意をした。
グラフはヒストグラムにしたものだけど、階級幅をどうするかで見え方が違ってくるから少し悩むところ。
手本にする論文の図は階級幅を指定していないから勝手に決めている。
結果ではないから理解しやすければそれでいいかなって思う。
加えて実際に使おうと思っている手法の原理を理解することに努めた。
塾講をやっていても思うけれど、人に説明しようと思うとかなり高いレベルの理解をしなければならない。
それが専門的であればあるほど、前提知識が無い人に教えるために必要な理解は高まる。
直感的な理解がしやすい図と言葉での説明が求められるなって思った。
自分が聞く立場だったら納得できない理解できない説明をしたくない。
聴いてもらうからには理解してその人の目線での意見が欲しい。
他人から質問や意見が無いってことは理解されてないってこと。
3週間に1回しか意見を貰うチャンスが無いのだから機会損失だけは避けなければならない。
なによりも自分とこのテーマのために。
今日の塾講は2コマ目の生徒が休みだった。
授業の予習はこの2コマ目に向けたものに時間がかかっているから意気消沈した。
意気消沈までは行かなくても肩透かしを食らったという感じか。
まあ、来週の授業の予習を先にしたと思えば何も問題は無い。
今日は朝の通学路を本気で歩きたい気分だった。
それぐらいに気力というか活力があった。
疲れで感覚が少しマヒしていただけなのかもしれないが。
さらに加えると、塾講前に飯を割とがっつり食べたらバイト中にエネルギー切れを起こすことが無かった。
これは割とすごかったし、教えている最中もパフォーマンスが高いなって思った。
もしこの状態が身体的負荷が無い状態なら維持したいと思うレベルでパフォーマンスが高かった。
そしてパフォーマンスが高い時特有のカラダの芯の熱さも感じていた。